文・写真 竹田 直樹 (ラウンドスケープアーキテクト/フォトライター)
6月13日(日)尾鷲 晴れ
漁港と運河
my life / your life アムステルダム/尾鷲
漁港の近くにある尾鷲市民文化会館せぎやまホールのすぐ脇を流れる中川にはアユの群れが見える。釣り人が長い竿を出していた。ホールの前の波止では、子供たちが小アジを釣っている。
雲ひとつない青空が薄紫色に変わり始めると、どこからともなく大勢の人々が集まってきた。京都でアーツスタッフネットワークを運営する樋口貞幸が企画運営する向井山朋子のコンサート「my life / your life アムステルダム/尾鷲」が開演となる。
アムステルダムの運河の映像を背景に演奏する向井山
1曲目は、シミオン・テン・ホルトの「悪魔のダンスII」(1986)。向井山の背景には、彼女が撮影したアムステルダムの運河の映像が投影される。ミニマルな曲想と船の中から撮影した単調に流れ去る外国の都市の風景は、相互に関連しあい、壮大な叙事詩のようだった。アムステルダムの風景は、ここではオランダ人と結婚し、長くアムステルダムで暮らす向井山のマイライフとしての意味を持ち、観客は彼女が暮らす街の風景を知ることとなる。演奏が終わると向井山は夫が尾鷲での彼女の公演についてオランダ語で語る声を会場に流した。内容はだれにもわからなかったと思うが、観客は彼女の夫の声を知る。その後、4人の尾鷲で暮らす人々がステージに上がり、向井山とトークとなった。年金で生活する人、尾鷲に移り住んだ人、福祉に取り組む人などが、彼女とたわいもない話をした。でも、彼らは、社会的な立場とは無関係な純粋な自分の言葉で、自らの尾鷲での人生について語った。それは、向井山から見たユアライフ。
ステージ上で尾鷲の人々と話す向井山
向井山は、コンサートでの演奏者と観客という従来からの関係性を変えようとする。このコンサートでは、どんな人がどんな人のために演奏するのかということをテーマとした。観客にとって向井山は単なる演奏者ではなく、向井山にとって観客は単なる聴衆ではなくなった。ごく一部かもしれないけれど、両者はそれぞれのことを感覚として知っている。
再び演奏が始まった。ペーター・ヤン・ワーグマンのエデンの庭師(2001)より第3部に続き、ロベルト・シューマンの「アラベスク」(1839)、そして、サルバトーレ・シャリーノの「ピアノソナタ第2番」(1983)、最後はフレデリック・ジェフスキーの「Down by the Riverside」(1978)。
拍手は鳴りやまず、アンコールは2曲となった。田中カレン「テクノ・エチュード」(2000)とトゥック・ニューマンの「ソイール」(2003)。
シューマンを除けば、いずれの作曲家も向井山が日常的に交流しているの知人である。この日、彼女は知人の曲を知人のために演奏したのだと思う。演奏された曲は、あくまで最先端の現代音楽だ。熱狂的ともいえる観客の拍手は、純粋に音楽に限定されたものでないのはあきらかだった。
観客は、向井山の人生と彼らの人生が、一瞬かもしれないけれどつながったことに対して拍手した。
終演後、向井山はスタッフたちと夕食に。私はひとり満天の星空を見ながらホテルに向かう。