「夏の旅」~プログラムノートにかえて
文 向井山 朋子
コンサート入り口のところに、Kiriko Mechanicusがアルベルト・ジャコメティの「歩く人」の絵はがきの上に描いたデビルの絵を掛けてある。ジャコメティおなじみの一歩踏み出した細長い足のあいだからはシッポが生え、薄い背中にはコウモリのような羽がついている。街にあふれるグラフィティーの語彙、love, fuck, smileのたぐい、HELLのサインがしてある。
「夏の旅」は東京、仙台、山形、岩手、札幌に住む人たちが集めてオランダに送ってくれた200以上にのぼる街の音のかけらを選択し、切ったり、編集したりしてサウンドトラックを作り、シューベルトに重ね、それぞれの街に再び持ち帰るというピアノコンサートだ。自動販売機の人工音声、うっとうしい街頭演説、地下鉄の音、そして街にあふれる人の声が、ピアノコンサートという空間に持ち込まれ、古典ピアノ音楽と重なり、そしてまた私たちの日常と重なっていく。
18世紀、いや西洋音楽史上最も偉大でアンタッチャブルな作曲家、だと思っていたシューベルトを「夏の旅」のために切り刻んで バラバラにしてしまった。解体しサウンドトラックと組み合わせ、もう一度組み立てていく過程で、その作品の宝物のような美しさを手に取るように再認識する機会をえられた。やがて昔の姿を取り戻した今夜のシューベルトはかつての大作曲家シューベルトではなく、踏み出せば寄り添うことのできる‘わたしのシューベルト’となった、ような気がする。
美術史上に残る大作、何世紀も経た古典作品が時間を超えた普遍の力強さ、いつの時代も人の心に深く永久の美を備えていることはもう知っている。 でも今を生きる私たちひとりひとりは、この大家達のマスターピースとどうやってかかわることができるだろう? 金字塔のような「古典作品」をすこしだけ私たちの側に引き寄せてみることはできないだろうか?
そうだ、この誰もが知っている「即興曲」に可愛いツノをつけよう。ある春の日にみんなが採集してきてくれた街の音、生活音を槍がわりにして。
【プログラム】
Franz Schubert ‘Impromptus op 90 D899’
フランツ・シューベルト : 『即興曲』
Simeon ten Holt ‘Canto Ostinato’ (1979)
シミオン・テン・ホルト : 『カント オスティナート』 (1979)
Tomoko Mukaiyama
向井山朋子 : 『夏の旅』 (2007)
集められた「200以上のまちの音」
夏の旅プロジェクト
東京、仙台、白鷹、東山、札幌。それはまったく環境の異なる地域です。4月から5月にかけて各まちの人たちが集めた「音」は、200以上にものぼりました。まちが奏でる多様な音はそこで生きる人々の証のようでもありました。時には、耳をそばだてても音を聞くことができないほど、静寂な場所もありました。音で切りとった私たちのまちは、いつもと違う姿を見せてくれました。
◇ 東京/門前仲町、木場公園、錦糸町・亀戸周辺、隅田川河畔で集められたのは、自動販売機の音、ラーメンをすする音、ATMの音など
◇ 仙台/メディアテークに響く足音、仙台駅の物売りの声、一番町四丁目商店街の人声、おそばさん竹の女将が語る「お客とそばやのエネルギー」の話、市バス・新幹線のアナウンス、朝市の呼び声など
◇ 山形/白鷹町内、滝野交流館周辺、あゆ茶屋・日本一のやな場、最上川河畔、ふるさと森林公園などで集めた小川が流れる音、鉄橋を電車が渡る音、やな場に水が流れる音、枯れ草を踏んだ足音、林のなかの風の音、鳥の鳴き声、ワゴン車のディーゼル音、機織りの音など
◇ 岩手/東山町町内の電車の音や車の音、砂鉄川河畔の音、紙すき館での音、幽玄洞の中の音など
◇ 札幌/モエレ沼公園(鳥、葉の音。子供の遊ぶ声。自転車。ガラスのピラミッドの反響音。)、雪解け水の音、風の音、地下鉄のブレーキ音など